一橋大学への軌跡
みなさんこんにちは。この度、合格体験記を書かせていただくこととなり、私の、特に高校時代の学習等についてお話させていただこうと思います。まず、私が青山ゼミに入塾したのは小学5年生のときです。小学6年生で特別クラスに入り、西南学院中学校に合格しました。そのまま西南学院中学校に進学し、サッカー部で過ごしました。
中学校では、進度の速さや内容の濃さに何とかついていきましたが、事情で青山ゼミを休塾してしまったため、成績は低迷してしまいました。その状態のまま西南学院高校へと進学し、再びゼミのお世話になることになりました。
1.志望校決定
私が一橋大学法学部を受けること決めたのは、高3の春でした。実は、初めは九大法学部を希望していたのです。しかし、一橋大学に合格した青山ゼミの田代先輩の「今からやれば受かるよ」という一言を真に受け、志望校変更を決意しました。九州大学の校舎の古さに少なからず失望していたことや、上京への憧れがあったのも理由として大きかったと思います。
2.部活との両立期
私は吹奏楽部で3年間、コントラバスを弾いていました。(コントラバスとは、弦楽器の中で一番でかいやつのことです。)文化部だと思って高を括って入った吹奏楽部は、案外激しく、先輩もとても恐ろしく、1年の1学期は勉強どころではありませんという感じでした。その頃の家庭学習時間は、皆無に等しく、授業もよく寝ていました。さすがに赤点だけは取るわけにもいかないので、試験前はノートをコピーしてもらい、なんとか勉強していました。学年順位で言うと、真ん中よりちょい下辺りぐらいだったと思います。
そんな私が変わったのは、高1の夏でした。部内の片想いの先輩の影響を受け、九州大学法学部受験を決意し、授業態度を改め、家庭学習も2,3時間は行うようになりました。そのおかげで、成績は伸び、2年へ進級するときには、ぎりぎりで一貫文系特別クラスに入ることができました。(一年学期末の学年順位は、90番ぐらいでした。)今思うと、良い先輩に巡り会え、良い感化を受けることのできた吹奏楽部は、受験という意味においても、私にとって重要な場所であったのだと思われます。
2年時では成績は順調に上昇し、2年の終わりの模試では、C判定をだし、合格を 確信。多少調子に乗ってしまい、3年時で志望校変更に至りました。(1.参照) さて、部活と勉強との両立に関してですが、言うまでもなく授業の取り組み方がネックになると思います。とりあえず、今授業中起きてない人は、起きることから始めましょう。起きていたら予習やら復習やらできなくても、きっと何とかなります。授業が分からなくても起きてみましょう。起きてさえいれば、分からないなりにきっと何が分からないか見えて来るはずです。どうか起きてください。
3.部活引退後・センター試験期
部活を引退したのは、たしか8月でした。夏休みはもう始まっていました。夏休みは青山ゼミで一日8時間位勉強していました。時間的には人より勉強したと思っていたのに、夏休み明けのテストでは順位はむしろ下がり、以後12月まで何をやってもうまくいきませんでした。受けたテストでは大体E判定。感心の出来栄えと思っていたテストですら、返ってきてみるとせいぜいD判定でした。なんと代ゼミの一橋実践模試の数学では、180点中で5点を記録。別に勉強をサボっていたというわけでもなく、ちゃんと一日6時間位はやっていました。ノロウイルスにも感染し、とにかく散々でした。
長いスランプから漸く切り抜けたのは、センター直前の12月でした。勉強を復習中心に切り替えたのをきっかけに成績は急上昇。そのままセンター試験を足切りすれすれで切り抜け、(ちなみにセンターリサーチは代ゼミC、河合D、駿台E)前期直前期に突入しました。
4.前期直前期
前期直前期は、単純にそれまでの倍の12時間近く勉強していました。そのうちの9時間を苦手な数学に、2時間を世界史に、1時間を英語にあてました。(点数UPの望めない国語は完全に捨てていました。)数学に集中して勉強したおかげで、本番でも得点源となり、見事合格することができました。
センターから前期入試までは、実は1ヶ月近くあります。成績はかなり伸びます。ですから、センターが多少悪くても、志望校を諦めないでください。落ちるかもしれませんが、受かるかもしれません。玉砕覚悟でやってやりましょう。
5.最後に
もしかしてこれを読んでくれている人の中には、E判定しか出せなくて、志望校を下げようとしている人がいるかもしれません。しかしながら、私も含めて案外E判定で受かる人は結構います。どうか諦めないで勉強を続けてください。
まだまだ書きたいことはたくさんありますが、字数制限はとっくに超えてしまっているのでそろそろペンを置こうかと思います。賽は投げられました。受かるも受からないも、後は皆さん次第です。後輩の皆さんのますますのご活躍を祈っています。では、さようなら。