なぜ修猷館をすすめるのか。

こんにちは。青山ゼミの前畑です。

タイトル「なぜ修猷館をすすめるのか」に対する答えは、もちろんいくつもありますが、その一つとして、修猷館の生徒たちは「当たり前のレベルが高い」ことです。

「当たり前のレベルが高い」とはどういうことかと言うと、「こんくらいで十分だろう」のラインが高いという意味です。

私は修猷館の卒業生です。
私は正直、修猷館の中ではまったく優秀な生徒ではありませんでした。というより真面目に勉強してきた生徒とは言えない生徒に分類されるでしょう。もっというと、極度の成績不振者といえました。

そんな私ですが、浪人はしたものの、最終的に早稲田大学政治経済学部に合格しました。

これはひとえに、修猷の友人たちのおかげだと思っています。

修猷館の生徒は当たり前のレベルが高いです。
私自身が、「もうこれくらいで十分やろ」と思ったときに、友人たちはそうではありませんでした。当たり前に、自然に、もっと上のレベルでものを考えていました。よく自分を恥じたものです。

とある友人の話です。私達が高校2年生の時のことです。その友人は私の家にちょくちょく泊まりに来ていたのですが、夜中まで遊んでいた次の日、友人は朝6時前に早起きをして勉強をしていたそうです。(私の母が何度も目撃しており、私はだいぶ後になってこのことを知りました。)母がその友人に、偉いねと声をかけたとき、「毎日やっていることですから」と何気なく答えたそうです。ちなみにこの友人は東大に現役で合格しました。

勉強に限った話ではありません。
大運動会や大文化祭でもそうです。
皆さんもご存知の通り、基本的に全力で物事に取り組みます。
行事を全力ですることを当たり前だと思っています。
だからあれだけ盛り上がるのです。

細かい話になりますが、英語の授業の一貫で、英語でディベートをするものがあったのですが、そのディベートのための準備をどの班も放課後、長時間残って準備をしていました。
せっかくだから絶対負けないくらい全力でやろうぜ!
と熱意をもってやっていたのを今でも覚えています。

朱に交われば赤くなるということわざがあります。
人は環境によって、考え方・行動に大きな影響を受けます。
このくらいやって当たり前、そのハードルが高い友人らとともに行動していれば、その感覚は自分自身のものにもなっていくことでしょう。

私は浪人中も、同じく浪人をしている修猷の友人からいつも刺激を受けていました。

 

もちろんこれは修猷館に限った話ではないでしょうし、難関校と言われる高校はどこでも当てはまることだと思います。

「当たり前のレベルが高い友人たちから、いい影響を受ける」

これが私が生徒たちに修猷館を目指させる理由の一つです。