泣き面に破竹の勢い!?

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久留米附設中学 合格
早稲田佐賀中学 合格
福大大濠中学 合格
西南学院中学 合格
篠原裕晶(愛宕浜小)

私はいま、ニヤつきながらこの合格体験記を執筆しています。
いや、決して頭がおかしいわけではございません。

ではなぜ、私が怪しげな・・・ではなく美しき笑みを浮かべているかと申しますと、入塾当初の私にしてみれば合格体験記を書かせて頂くというこの状況自体が、夢のような話だったからです。

小4の夏に私は青山ゼミに入塾しました。

小学校の学習内容は授業中にほぼ把握できていたため、塾に入っても難なく及第できるだろうと思っていました。
しかし、入塾初日に私は大きな衝撃を受けることになります。地理の時間のことでした。
塾長がこうおっしゃったのです。「次の授業でこのプリントのテストをするから、全部覚えてこい!」配られたプリントを見て私は絶句しました。
なぜならそのテストというのが全国47都道府県とその県庁所在地を日本地図と照合して解答するというものだったからです。
焦りに焦った私は帰宅後すぐに母に相談しました。

私はまだこのころ自分で勉強するということを明確には知らなかったのです。
なので私は母と覚えることになったのですが、結局焦ったもののヤル気のない私は上から3つの「北海道」「青森県」「秋田県」だけしか覚えられませんでした。
いや、正しくは「覚えませんでした」でしょう。そのまま私は、車でゼミに向かいました。最初は「どうせみんな覚えてきてないだろう」という安易な考えを思い浮かべていました。
しかし、やはり3つだけというのは心配だったので4つ目も覚えようとプリントに手を伸ばしました。すると私はある光景を思い出しました。

それは、プリントが配られた際、全員がそれを真剣に見つめていたことです。

まさに「覚えてやるぞ!」という表情でした。
その光景が脳裏に浮かんだ瞬間、私は言い知れぬ不安を感じました。残り時間で必死に覚えようとしました。でも覚えられるはずがありません。
私は緊張、不安、そして何よりも自分の不甲斐無さから、車の中で号泣しました。どうにも涙が止まりません。ゼミに着いてからも私は泣いていました。
すると塾長が「落ち着いたら教室に来い」とおっしゃって私を面談室に連れて行き、私を一人にして下さいました。
色々と悩んだ挙句、私は吹っ切れて教室へと向かいました。
しかし、それだけでは終わりませんでした。私の思った通り、他の生徒はきちんとプリントの内容を覚えており、私だけケタ違いに悪い点数をとる結果となりました。
私が挫折感にさいなまれたことは言うまでもありません。
授業が全て終わった後、私は迎えに来ていた父と共にゼミを出ようとしました。
私は、すぐにその場から立ち去りたい気持ちでした。

その時です。塾長が私にこのような言葉を投げかけて下さいました。

「小さなことでくよくよするな。」

塾長の変化球に私は元気付けられました。
私はおそらく、この言葉を一生忘れはしないでしょう。

この一件があってから、私は以前より確実に勉強をするようになりました。とはいえ、小4の間はずっとドベ争いをしていました。

小5になり、四谷大塚の組分けテストが始まったのですが、最初は一番下のAコースでした(S,C,B,Aの成績順)。
なんとかBコースに上がったのですが、結局Cコースには上がれずに小5を終えました。
しかし塾内ではドベ争いから脱出して中間層の仲間入りを果たせたので、着実に成績が伸びていると実感できました。

小6になると、「受験」という言葉を少しずつ意識するようになり、勉強意欲が段々と高まっていきました。
なので小6の始めには念願のCコースに昇格しました。夏が来て志望校を決める段階になりました。

私は算数がとても好きだったので、理系の人が多いと聞いていた久留米大学附設中学校を第一志望に決めました。
正直これといって自信があったわけではありません。
合不合判定テストでも、附設の合格率は30~40%をさまよっていました。でも、どうせなら目標はでかい方がいいと思ったのです。
また、私はこの時期しばしば、「合格体験記に載れたらいいなー」と、合格体験記を眺めながら思っていました。
ただ、合格体験記に載るには難関校に合格する必要があり、その点でも私の附設合格への意欲を掻き立てていたのだと思います。

結果的に私は過去問を10年分解き、7勝3敗で入試に臨み、合格しました。

各教科ごとのアドバイス

以下に、後輩の皆さんへ私なりに各教科ごとのアドバイスを記したいと思います。

[国語]
本文から先に読む人もいれば、問題を先に読んで、本文に取りかかる人もいます。私は本文から読む派なのですが、各人の解き方があっていいと思います。
私は国語が苦手だったので、あまりいいアドバイスはできませんが、少なくとも評論では「つまり」という言葉には注意して丸で囲み、小説では心情描写が読みとれるところに線を引いていました。
例えば「太郎は両手でドーンッと机を叩いた(=怒り)」などです。
また、下線部に関する問では、文章を読んだ記憶だけで記号選択するのではなく、下線部の前後半2行は絶対に読んで対応しましょう。
そうしないと、どれもが正しいように感じられて、逆にタイムロスとなります。
そして、先生はよく、「本文に線を引きなさい」とおっしゃいますが、それは、「本文全てに線を引け」ということではなく「大事なところに線を引け」という意味です。
なぜそのようにするのかというと、本文全体をより視覚的にするためです。ですから、大量の線を引く必要はありません。最後に、国語には個人差があってどう頑張ってもできない、という人もいると思います。
しかし、先生の言うことを聞いて、ついていけばきっと未来は開けてくるでしょう。

[算数]
私は算数が元から好きでした。だから算数が嫌いな方の気持ちは、正直なところよく分かりません(すみません)。
でも、なぜ好きだったかはお教えできます。私は小4の頃、迷路作りにはまっていました。そんな私にとってゼミで出会った難解な算数の問題は、数字と数字が絡み合ったちょっと品のある迷路同然でした。
ゆえに私は算数にすぐ馴染むことが出来たのだと思います。
アドバイスすることがあるとすれば、幾何の問題に関して何も分からなくても、とにかく図形に分かったことを書き込んでいって下さい。
すると案外簡単に答えが見えてくることがあります。迷路は、何度も行き止まりにぶつかってスタートに戻り、試行錯誤した結果、ゴールに辿り着くものであり、算数はそれと相違ないのです。

[理科]
実験結果を通して水溶液中の溶質を推理する問題は、覚えていればどんな応用問題でも絶対に満点がとれます。
確実に覚えておきましょう。他は慣れです。

[社会]
私は特に歴史が苦手でした。しかし、受験当日には歴史が地理、公民よりも得意な人間になっていました。
なぜなら、入試1ヶ月前に年号を100個覚えたからです。
「ワードは覚えているけど、どうにも点がとれない」という人は、恐らく歴史における時間軸を軽視しているからだと思います。
また、時代ごとの始まりと終わりの年号も覚えておくととても便利です。

以上が、私が今出来る全力のアドバイスです。算数はかなり抽象的になってしまいました。すみません。
ただ、理科と社会に関して総括して言えることは、やる気を出して覚えない限り、一向に成績は上がらないということです。

このことは、附設に入って実感したのですが、

どんなに頭が良くて崇められているような人でも、時間をかけてじっくり覚えない限り、身に付かないというのです。

つまり、理科と社会の点数はほぼ全て自分自身の責任です。
ちなみに、もしも先の「つまり」に丸印を付けた方がいたとしたら、恐らくその方は大丈夫でしょう。

受験に関するアドバイス「諦めない心の重要性」

次に受験に関するアドバイスです。

受験とは真剣勝負であり、試験会場はピリピリした空気に覆われています。その雰囲気に呑まれずに、平静を保ち続けるのは容易ではないかもしれません。

勉強しながら回想することです。

小学生なら、一度は「他の子は遊んでいるのに何で自分は勉強しなければならないのだろう。」という疑問を持ったことがあるはずです。
近所の友達が遊んでいる中で一人だけ勉強している自分、そんな憂鬱な自分を回想することで、あの努力に満ちた時間を台無しにはできないと、心の芯をより強固なものにできるでしょう。
また、入試とは先の疑問を解消する場でもあるのです。受験の際にもう一つ忘れてはならないことがあります。

それは諦めない心です。
ありきたりなことですが、だからこそ大切なのかもしれません。

このことを私が痛感したのは西南学院中の受験の時でした。1時限目の国語が始まる直前に私は急に体調が悪くなりました。
試験開始直後、私は落ち着こうと委員の方に着き添ってもらい、トイレに向かいました。
すると、歩くごとに鼻水が鼻の下を伝うのを感じました。トイレで私は急いで鼻をかみ、用を足した後に教室に戻りました。
試験開始から5分以上が経過しており、他の受験生に遅れをとっているのは明白でした。焦った私はすぐに問題用紙を開き、解答に取りかかりました。
するとその時、鼻から洪水のように鼻水が流れ出てきました。私は重度の鼻風邪をひいてしまっていたのです。
幸いなことに紙マスクをしていたので、解答用紙に鼻水がこぼれるという最悪な状況だけは免れました。
しかし、この悲惨な状況を解決する手立ては見つかりませんでした。
マスクをすぐにでも取り外してハンカチか何かで顔を拭きたかったのですが、ハンカチはポケットの中にあり、取り出したらカンニング扱いされてしまいます。仕方なく私は、その状態のままで問題を解き進めました。
しかし全然文章が頭に入ってこず、国語が終わった後には私は放心状態でした。
休み時間にトイレで鼻をかみましたが、鼻水の出る量は増加する一方です。次に社会、算数と続きましたが、思うように解けませんでした。
特に算数の時間には、マスクで覆いきれなくなった鼻水が首もとを流れ、シャツにまで至り、とてつもなく気持ち悪く、最終的には正気を失いました。
しかし私は諦めたくありませんでした。なぜなら「保健室に行く=敗北」というような考え方が頭のどこかにあったからです。
でも、保健室に行った方が絶対に楽なので、もし体調不良を感じた時は必ず保健室に行きましょう。
話を戻しますが、私は3時限目終了時点において、絶望の淵にありました。
ですが、まだ4時限目があります。私はその4時限目の理科に全てを賭けたのです。
4時限目、私は集中の絶頂にありました。なので、その間の記憶はほぼありません。ただし、満点を取れたと言い切れるぐらいに上出来だったことは確かです。
家に帰り、熱を測ると38度台でした。私は不合格の可能性も考えましたが、あくまでも前向きに合格を祈りました。
数日後、発表された結果は合格でした。

最後に

以上が自慢話のようでしたが、「諦めない心の重要性」に関する私の経験に則した証明であり、実情です。
また、入試の時に限らず、「前の時間のあの問題、解けてたなー」と思うことがあるでしょうが、そんなことは気にせず、次の時間に全力を尽くしましょう。「小さなことでくよくよするな」です。

私が附設に合格した時でしょうか。青木理恵先生がこのようなことを仰いました。「シノ君は青山ゼミの誇りです。」
しかし、私にとっては青山ゼミ生であることが誇りです。

何故なら青山ゼミは、泣いてばかりであれほどまでに無力だった私を附設合格にまで導いてくれたからです。
そして、私のような人間が久留米附設中学校に合格したことは、努力次第で誰にでも難関校合格の可能性があるということを示唆しているでしょう。

私に勇気を与えて下さった塾長。私に理系分野の楽しさを、そして何より考える力とは何かを教えて下さった金山先生。
特別クラスでの良問のチョイス、附設の国語の小論文の添削をして下さった先生方。
私の不出来な国語の答案を丁寧に添削して下さった青木理恵先生。個別指導で私のラストスパートを勢いづけて下さった個別担当の先生方。
そして毎回私の送り迎えをし、加えて弁当を届けて下れた両親に心から感謝します。

それでは最後に、ナポレオン=ボナパルトのこの言葉を添えて擱筆したいと思います。

「勝利はもっとも粘り強い者のものである」