勉強は楽しいものだ、という話(その2)

こんにちは。青山ゼミの大塚です。

先日、こんな記事を書きました。
勉強は楽しいものだ、という話(その1) – 青山ゼミブログ
今回は続きです。

この文章もそうですが、私は今、このブログを見ている人に伝えたいことがあるので、文章を考えながら書いています。これが、国語を教えている身からしても、けっこう難しいのです。
頭の中にあるもやっとした気持ちを、言葉を使って説明をするとなると、言葉選びに神経を使います。国語の教師というプレッシャーもあったりして。文を作っていくとこの気持ちもクリアになるんですけどね。

でも、同時に、文章を書くとき、国語を教えていてよかったなあと思えます。中学校、高校と教わってきた国語が、本当に役に立っていると思えます。もちろん、古典もです。高校の古典の授業は眠かったですけど。

国語というのは、形のない思いを伝えるための道具だと思います。
自分が言いたいこと、伝えたいことをうまく文章にして、相手が完璧に分かってくれたとき、すっきりしたり、嬉しかったりした経験はないですか?私はあります。生徒の質問に答えていて、「なるほど!」と言ってくれたときは嬉しいですねー。

それが大きな発表の場、自分の人生を決める場などであると、なおさらです。
ゼミの保護者会で話をさせていただいたとき、とても緊張しましたが、保護者会後のお母さん方とお話をしていて、自分の言いたいことは時間内に言えたと自負しています。
また、非常に私事ですが、自分の結婚式のとき、新郎代表スピーチで話した内容に「感動したよ」と友人が言ってくれたことも、とっっても嬉しかったです。友人だからかも知れませんが…ま、嬉しかったからいいのです。

自分に言いたいことができたとき、伝えたいことができたとき、そのときに国語力が足りないことを初めて嘆いても遅いです。いつか来る「そのとき」のために、国語はやっておくべきです。「そのとき」が来たら、国語って楽しいんだな、と思えますよ!